門弟メーリスからの意見ご紹介です!
医療シリーズの記事を拝読して、父の顔を思い浮かべました。
内科医の父は、医学部を卒業して50年近く経ちますが、未だ現役で活動しています。
その父と私はほとんど顔を合わすことはありませんでした。
家に居ないのですから。
若いときは薄給過ぎて複数の病院でアルバイトの掛け持ち。都内の病院から遠くは佐渡島の診療所で働いていました。
30代~40代は病院に詰めっぱなし。血液内科・消化器内科、救急部門も担当していたので平日は帰宅できたとしても午前様。それでも患者さんの容体に変化があれば電話で指示を出し、それでもダメならまた病院に戻り・・・。
「過重労働」といえばそうかもしれません。
「ブラック企業」なぞ裸足で逃げ出す環境です。お給料が高い、とよく言われますが時給換算してその責任の重さを考えると破格の安さといえます。
それでも、父は現場を離れず。
院長になっても教授になっても外来を続け、当直もこなす。
退官した今年からは、地域の介護施設と一体型のクリニックに理事として勤務していますが、それでも週5日は外来で診察をしています。
これはもう「労働者」ではなく、「研究者」「求道者」なのだな、と。
使命感を持ち、大志を抱き、それを生涯かけて突き詰めようとしている。
医療は、そのような思いが昇華して成り立っている現場なのだな、と大人になった今、つくづく思います。
女医さん、でいえば私の小学校時代の同級生が家業を継ぎ医師となりました。
彼女は当時から滅法気が強く「女傑」と呼ぶにふさわしく、ハードな研修医生活もなんのその、だったそうです。
ことほど左様に特殊な世界の職業に「男女平等」の名で一般の仕事の感覚を当てはめてほしくはないな、と思います。
患者さんも医師もお互いが不幸になるので。
医療現場は、既に疲弊しきっています。
父のここ20年以上の悩みと課題は地方に赴任してくれる医師を探すこと。
大都市圏に集中し、しかも最近は美容医療など日勤でしかも保険外診療に関心を持たれやすいとか。
男女平等にして、結果そういう思考の医師が増えることに危機感を抱いています。
そんな父の嘆きと悩みをこの医療シリーズを拝読していると思い出さずにおれません。
(train8585さん)
「聖職者」という言葉が、自然と頭に浮かびました。
かつては教師も「聖職者」だったはずが、イデオロギーが入ってきて「教師も労働者だ」と言うようになり、様変わりしてしまったと言われています(もちろん、今でも聖職者的な意欲を持っている教師は多いと思いますが)。
医療も本来、「聖職者」意識がなければ成り立たないもので、イデオロギーでそれを壊してはいけないのだろうと思います。
もちろん、それに甘えて、過酷で疲弊しきった現場をそのままにしていいわけではないのですが。